2013年11月25日月曜日

表札・2



「表札」

実家に納める表札です。
ポリプロピレンにカッティングを施し、木に貼付けてあります。



”表札”はシンプルに限ります。



2013年11月24日日曜日

紅葉


(1週間前)

「紅葉」

本日快晴。
今年も庭の楓が、美しく紅色に染まりました。







2013年11月20日水曜日

ハバロフスクの住人たち・6


「 This is my style ! 」


「ゼムリャク・キリル」
ハバロフスク国立経済・法律アカデミー/科学技術博士




この日も沢山の方達から「切り絵似顔絵」のオーダーを頂きました。

何名かの似顔絵を作り終え、キリも良いので”ちょっと一息”と思っているところに、若い男性が表れ席に座りました。

「よろしいですか?」
「もちろんです!」


休憩は後回しにして、さっそく下絵を描き始めます。
すると彼が言いました。

「”これ”でお願いします。」(顔半分を手で覆い隠しています)

「This is my Style ! Is it Possible ?」

面白いお客さんです。

「私は右側の顔が好きだから、こっちを向いていいですか?」
「正面は恥ずかしいから、横顔で作って下さい」

と、この手の注文はよくありますが、”顔を隠す人”は初めての事でした。




「話しても大丈夫ですか?」と、制作中も何かと話し掛けてくれます。勿論、話を聞いてはいるのですが、作業中と云う事もあり、全ての事が頭に入るわけではありません。失礼ながら”右から左へ”と云う事も多々あります。


出来上がり!

いつも通り15分程で完成。
完成した似顔絵を手に記念撮影です。・・・・(そういえば、さっきこんな事言ってたなあ〜)

「私も絵を描きます。(描いていました)」と。

・・・・そこで1つ提案してみる事にしました。

「もしこの後お時間よろしければ、今度は逆に”私の似顔絵”を描いて貰えませんか?」

幸い(?)次の似顔絵を待つお客さんは居ず、また休憩を取りたかったため、そして彼がどんな絵を描くのか興味があったために訊ねてみたのでした。


すると、


「はい、わかりました。チャレンジしてみます!」
意外な事にすんなりと承諾して頂けました。


”描く側”となり口数が少なくなる彼。集中しています!



私の似顔絵を制作中。どんな感じになってるのかな!?



出来上がったお互いの似顔絵を手に記念撮影。彼はいつでも顔半分を隠していました。なぜなら、”それ”が彼のスタイルだから!


とても面白い試みでした。
ありがとうございました!




「ロシアの友人」

ロシアより帰国後、彼とは何度となくメールのやり取りをしていました。そして初めて彼が”何者”なのか?が解ってきたのです。
(実は似顔絵を作っている時にも、そんな話をしてくれていたような?いなかったような? ”右から左”なんです)

ゼムリャク・キリル

「ハバロフスク国立経済・法律アカデミー」
科学技術博士
研究活動・対外関係に関する貿易技術学部副学部長
商品学講座の講師

(まだ20代と若いのにスゴイですね〜!)



そしてある日、そんな彼から久しぶりにメールが届きました。

「ユタカさん、お元気ですか?私は昨晩「津」に到着しました。今日は名古屋に行ってきます。」


「えっ!?」


キリルさんは日本に居ました!

聞くところによると、今回彼が来日した目的は、三重大学で開催される「国際ジョイントセミナー&シンポジウム」で論文を発表するため。との事でした。(若いのにやりますな〜!)

「名古屋から私の住む岐阜までは、電車で20分とかかりません。忙しいとは思いますが、時間が作れるようでしたら、是非お会いましょう!」


そんなメールを返信した3日後、彼は岐阜の地に立っていました。
ハバロフスクの美術館で似顔絵を描かせていただいたお客様が・・・何だか不思議な感覚を覚えました。


「岐阜観光」

キリルさん・私・ウラジーミルさん
(正法寺・大仏殿前)


織田信長?(岐阜城内)
やはり”SAMURAI”と云えばこうなのでしょうか!?


(フラマンにて)


”ロシアの友人、キリルさん・ウラジーミルさん”
次回はハバロフスクでまたお会いしましょう!






2013年11月6日水曜日

ハバロフスクの景色・4






「日本」

海外に出ると様々な日本を目にします。

日本人以上に日本に精通してみえる方が居るかと思えば、よくある”ヘンテコニッポン”も、世界中どこの国でも見かけることができるでしょう。
そして、ここロシア/ハバロフスクでは、比較的まっとう(?)に日本を描いてくれているような気がします。(たまには、何?というものもありますが)



「一体これは何でしょう!?」


正解は「消化器」でした。キリル文字で「サムライ」と書いてあります。このちょっと格好いい消化器は、私の個展会場内に設置(?)してありました。(ちょっと欲しい)



今どきですね!・・・・だけど、日本語による案内は分かりますが、なぜ英語なのでしょう?ロシアなのにキリル文字が1つも入っていません。どんな人を対象にしているのでしょうか?



ミュージアムショップの片隅に埋もれていた、小泉元首相のマグカップ。¥798です。(値札を見ると500ルーブル*約¥1500)

話は変わりますが・・・・
小泉さんが首相時代、ここ極東美術館を訪問されたことがあるそうです。日本の総理大臣のハバロフスク訪問自体が初めてのことだった。と云うことでした。

小泉純一郎内閣総理大臣/極東美術館(写真:ハバロフスク地方政府提供)





「クワス」

夏のロシアの風物詩といえば、「冷たく冷やしたクワス!」です。
クワスとは、ライ麦や大麦を醗酵させたロシアの伝統的な清涼飲料水で、家庭では黒パンを材料に作られます。






♪ クワスのCMです。


本物の黒パン穀物からつくるクワス
ワシらの先代もみんな飲んでおったでの
祝いの日にも、友との乾杯の席にもクワスはあった
クワスさえあれば病気とも縁なしじゃった
それからじゃ、大量の飲み物の洪水がやってきたのは・・・
しかし、ニコーラは言いよった
「身体に悪い物はもうたくさん!」
「ニセモノはもういらん!」
「皆には『ニコーラ』があるではないか!」
「ビタミンと天然麦芽の産物が!」

クワス『ニコーラ』
『ニコーラ』を飲みなさい


ソ連崩壊後、西側の大手飲料メーカーの流入から、クワスは日陰に追いやられてしまいました。しかしここ数年、「化合物を含まない自然で体に良い飲み物」として見直され、クワス人気は急上昇!”西側ブランドより、自国の優れた文化(物)に誇りを!”と云ったところでしょうか。


ホームステイ先の自家製クワス


私たちがお世話になったホームステイ先のお家でも、やはりクワスを作っていました。
ステイ先の長男・アンドレイさんに勧められるままに飲んでみます。

「・・・美味しい!!」

実は以前にも、地元にあるウクライナ料理屋さんでクワスを飲んだことがありました。その時も美味しいと思いましたが、ここロシアで飲むクワスはさらに美味しく感じます。(自家製なので、『家庭の味』ということですね)

「もう一杯ください!」

2杯目を飲み終える頃には、何だか少し身体が熱くなってきました。
クワスは発酵飲料です。微量ながら(1〜3%)アルコール分があります。残念なことに、私の身体はアルコールを分解できません。(下戸)クワスといえど、このまま飲み続けたら大変なことになってしまいます(?)。

その日以来、「クワスを飲むのは一度に2杯まで」と決めました。



こんなクワスの自動販売機もあります。面白いですね。






2013年11月3日日曜日

ハバロフスクの景色・3


クジラの骨格標本



「文化と憩いの公園」

極東美術館の裏、アムール河沿いにある公園です。
その名も「文化と憩いの公園」。確かに美術館の前には「赤軍博物館」、美術館のお隣には「シンフォニー・ホール」、そしてそのお隣には「郷土史歴史博物館」と、ハバロフスクにある文化施設はこの辺りに集中しています。


穏やかな午後、緑の中をお散歩です。

凄い迫力!

子供達の憩いの場?

楽しそうな女の子。

大人だって楽しみます。




「ロシア人は信号を守る!?」


意外と言っては失礼ですし、当たり前の事なのですが、ロシアの人々は赤信号を渡りません。ロシア人がそうなのか? ハバロフスクの人々がそうなのか? 私がたまたま見かけた人がそうだっただけなのか? とにかく「車がいないから渡っちゃえ!」という人はいませんでした。


こちらの青信号は、極端に時間が短く感じられます。(場所によりけり?)すぐにに変わってしまいます。




「気候・天候」

ハバロフスクには2週間滞在しましたが、日本の夏とは比べ物にならない、快適な日々を過ごさせて頂きました。
カラっと晴れた日の真っ青な空は「ここはロシアなの?」と疑いたくなるくらいです。緑溢れる公園に居ると時間が経つのを忘れてしまいます。

しかしながら雨もよく降りました。
丸一日降り続けるようなことはありませんが、やはりよく降ります。短い夏を楽しみにしているロシアの人々には申し訳ないですが、私にしてみれば色々なハバロフスクの表情を見る事ができ、”雨もまた良し”でした。


晴れの日

大聖堂広場

ムラヴィヨフ・アムールスキー通り

極東学術図書館

雲が・・・凄い!




雨の日







「アムール河」

ロシア極東(ハバロフスク含む)は、過去120年間で最悪の洪水に見舞われました。道路は冠水し、インフラは破壊され、約8万人が仕事や住まいを失いました。しかし幸いなことに、死者は出ていません。

洪水の水が引き始めた現在、人々は今後の生活を心配しています。復旧活動が可能な地域では、全力で作業が進められてはいるものの、やはりゼロからの出発は簡単ではありません。 〜The Voice of Russia より


大量の土嚢が積まれています。

ここから先は立ち入り禁止。

青い屋根の建物が「極東美術館」。アムール河は目と鼻の先です。

晴天のアムール河


被災した皆様に、心からお見舞い申し上げます。